-      -



     - 刀剣奇譚 -


 八月に入ると自然、蒸し暑くなった。
 そういう訳で、非番の隊士は皆外へ出て行ってしまった。筋肉隆々の強面の男達が犇めく屯所で、折角の休日を潰す道理はない。
 矢嶋喜三郎とて例に漏れず、外出した。といっても、他の者達のように酒を引っかけに行ったわけではない。喜三郎には、約束があったのだ。
「おもしろいものがあるから見せてやる」
 と言ったのは、旧知の仲でもある森山大吾であった。この男は商品を諸外国と交易することで生計を立てている。しかし、喜三郎はその仕事があまり善いことだとは思っていなかった。尤も、他人に干渉するような生き方を嫌う喜三郎だから別段大した問題でもない、というのも事実であるのだが。
 その大吾が一月ほど前「おもしろいものがあるから見せてやる」と言った。その日は隊の任務があったので断ったのだが、今朝、何かの拍子にそれを思い出したのだ。明確にした約束でもないし、行ってやるような義務もないのだが、汗臭い屯所に引き籠もっているよりは幾分かましだろう。
 森山大吾という男は、外国にかぶれている。先々で手に入れた珍しいらしい品々を、人に見せたがる。対して、喜三郎は海の向こうには何の興味も持っていなかったから、大吾にとってのおもしろいが、必ずしも喜三郎にとってもおもしろいという訳ではなかった。その経験を踏まえたうえで、どうでもいい約束ではあったが、今日は偶々非番の日であったし、偶々約束を思い出したので気紛れに足を運んでみようと思っただけなのである。
 複雑に入り組んだ小路を進むと、日の当たらない、古い平屋があった。この季節にはもってこい、というような不気味さが漂っている。その平屋の一番奥、そこに森山大吾は住んでいた。
 いつものとうりに何も言わずに上がる。大吾は玄関に背を向けながら、卓袱台の上で何やら内職をしているようだった。
「おい、おもしろいものとはなんだ」
 喜三郎は単刀直入に切り出した。
 大吾の身体が大きく跳ねる。どうやら喜三郎が上がってきたことに気付いていなかったらしい。その拍子に、何かが幾つか床に落ちた。
「なんだ喜三郎、上がってきたのならなにか言え」
「おれはいつも道理にしただけだ。それよりお前、何をしていた」
 言われて大吾は卓袱台の上のものを再び弄り始めた。
「まあ、見てみろ」
 促され、喜三郎は卓袱台の上を見た。そこには湯飲みと、穴だらけの画らしきものと、小さな何かの欠片が多数、散らかっていた。
「なんだこれは」
「初めて見るだろう。なんでも『じぐそぅ』と言うのだそうだ」
「識らんな」
「エゲリスのものだ。一枚の大きな画を、こう、切り刻む。『ぴぃす』というのだがそれをもう一度、元の画に戻るように、組み立てるのだ。これが存外難しくてな、頭を使う」
 なるほど、組み立てている最中であるから、あの画は穴だらけであったのだ、と喜三郎は独り納得した。大吾は床に散らばった『ぴぃす』を拾いながら、「それで、今日は何用だ」などと訊いてきた。
「何用だ、とはなんだ。お前がおもしろいものを見せてやるというから、折角足を運んでやったというのに。よもやおもしろいもの、というのはそのじぐそうとかいうのではあるまいな」
 たしかにじぐそぅというのは珍しくはあった。しかし、おもしろいかどうかと訊かれたなら、答は否である。
「ああ、思い出した。暫し待て、茶でも煎れよう」
「茶なんぞはいい。早く見せろ」
「相も変わらずせっかちな奴だな、お前は。いい、見せてやる」
 大吾は立ち上がると、襖に手を掛けた。中から何か棒状のものを出す。
「刀か」
「刀だ」
 それは紛れもなく、刀であった。
「どうしたのだ」
 喜三郎が訊けば、大吾は不敵に笑って見せた。
「こういう仕事をしているとな、色んな話を聞く。いわく付きの人形だったり、血染めの布だったりとな。尤もその殆どは贋物なんだがね、こいつは違う。本物だ」
「どう本物なんだ」
「喜三郎。暮六鏡士郎は識っているか」
「識らん。何だそれは」
「この刀の名なのだが。うむ、なら少し昔話をしよう。この季節に丁度いい、ちょっとした怪談話をな。
 田沼の頃の話でな、主役は暮六鏡士郎という刀だ。昔、鏡士郎という刀匠がいた。しかしその男の創る刀は出来の悪いことで有名だった。何十年と刀を創り上げた鏡士郎だが、名作と呼べる代物はほんの数本出来たかどうかであった。晩年になって鏡士郎は病に倒れてしまった。しかしそれでも刀を打つことを辞めない。やがて鏡士郎は一本の刀を完成させた。己の血と骨と肉を、文字のとうり心血を注いで完成させた刀こそが、暮六鏡士郎だ」
「その暮六鏡士郎が、これだと言うのか」
 大吾が口元を歪めたまま頷いた。
「くだらん。そも、怪談にすらなっていないではないか」
 喜三郎は妖刀だのという話は信じない。仮令、徳川翁に村正の呪いが降りかかろうと、それは呪いに勝てるだけの運も実力もなかっただけの話である。
 大吾はわかってないな、と溜息混じりに言って、
「だからお前はせっかちなんだ。この話には続きがあってな。
 舞台は移ってとある武家屋敷だ。一晩で屋敷にいた者が皆殺された。主も含めて死んだ数は三十七人もいる」
「そんな話は識らないぞ」
 田沼の世の話であれば、昔には違いないが割りかし近い頃だ。それだけの数が殺された事件なら、世間的に識られていても言い筈だが。そう考えてから、これは怪談であるということを思い出す。怪談の起源を尋ねたところで、詮無きことである。話の筋を、戻す。
「まあいい下手人は」
「主」
「莫迦。主は死んだのだろう。三十六人も巻き込んで無理心中なんてあり得ないじゃないか」
「そう、あり得ない。しかし、あったんだよ。だから、不思議なんじゃないか」
「確かに奇妙な話ではあるが、それは怪談では無い」
「何故」
「そうだな。怪談話をするならもっと幽玄を大切にしろ。お前のは、ただ血生臭いだけだ」
「そうか、怪談なんぞはそんなものだと思うがね。まあいい、もう少しで終わりだから最後まで聞け」
 そこから先、喜三郎は何も言わず、唯耳を傾けることにした。大吾が、話を続ける。
「それでだ、この話には訝しい点が幾つもあるんだ。まず、事が周知となったのが翌朝であったということ。山に囲まれた土地と言ってもあれだけ殺しておいて、誰一人悲鳴を聞いていないというのがおかしい。主が家人を殺す理由もないし、自分で死ぬ理由もない。他に上げれば切りがないのだが、一つ、どうしても納得できない部分がある。主の話なんだがね。主の死体が見つかったとき、どうにも首だけが見当たらなかったらしい。更には主が死んだ部屋には、血の一滴も残っていなかったのだそうだ」
 語り終えた大吾が、湯飲みを啜る
「ようやく終わったか」
 喜三郎はごろりと床に寝転ぶ。
「どうだ、涼しくなったか」
「わけあるか。くだらん話を延々と。そんな話を聞くためだけに出てきたとは、折角の休みが勿体ない」
「そんなにつまらなかったか。まあいい、それでだが喜三郎。この暮六鏡士郎、お前にやる」
 突然のことに、喜三郎は身を起こした。
「そのいわく付きの刀をか。いや、それはいいとして、使い物になるのか」
 戦をしてみれば判ることだが、刀というのは数人切っただけで切れ味が鈍る。ましてや三十何人も斬殺しておいて手入れをしていないのならそれは、唯の鉄の塊でしかない。
「ああ、それに関しては子細無い。なんといっても、妖刀だからな」
「どういうことだ」
「そのままの意味だ。この刀はな、あれだけの数を斬っといて、刀身が曲がらず、刃こぼれもしなかったのだ。それはもう、妖刀ではないか」
 そんな筈はない。絶対に誰かが手入れをしたに決まっているのだ。なのに、大吾と来たらぺらぺらと有ること無いこと語り出す。喜三郎はその様子に苛立った。それにしても、
「何故おれなのだ」
「おれが持っていても仕方がないだろう。それに、お前は仕事柄、必要だろう」
 確かに、刀はよければ良い方がいい。が、相手が妖刀となれば話は別ではないか。
「厭だ」
「何故」
「そんな胡乱なもの、寄越すな」
「確かに、胡乱。しかしな、お前は呪いだとか、そういった類の話は信じていないのだろう。なら、使いこなして見せろ。それとも、お前にはそんな運も実力もないというのか」
「そこまで言うのなら、寄越せ」
 勢い、刀を奪う。
「用が済んだならばおれは行く」
「ああ、わかった。それと、御武運を」
 最後の一言は余計だ、と喜三郎は平屋の引き戸を勢いよく締め付けてやった。

 つい頭に血が上って出てきてしまったが、これといった目的もなく出てきた喜三郎にはやはり目的がなかった。まだ昼頃ではあるが、何処かの店で同じく非番の仲間が飲んだくれているかも知れない。真っ直ぐ屯所へ戻ることはせずに、ふらりと町の方へ寄ってみることにした。

 喜三郎の予想した通り、同じ隊の何人かが行きつけの飲み屋で飲んでいた。まだ日が暮れるには早い時間だが、既に出来上がってしまっている。
 方々に愚痴が飛び交う。酒臭い男の吐息は、情けない。
 会話に入る気にもなれず、喜三郎は先程の刀のことを考える。
 怪談、というには押しが弱い、いわく付きの妖刀。どこまでが本当で、どこからが嘘なのか。皆目見当もつかないが、見たところなかなかに切れ味は良さそうであった。
 流れる様な曲線と、薄く厚い刀身の煌きは、正に芸術なのだ。
 両の拳をぐっと握りしめる。
 喜三郎には、あまり良くない癖があった。人を斬す感覚を、想像するという癖が。
 一度覚えてしまった感覚は忘れることができない。白銀を勢いよく振り付けるだけで、まるで何かの果実のようにぱっくりと割れて、朱い肉が露になる。その様子を想像しただけで、背中に何かが走る。人を斬しているときの喜三郎は、恍惚としているのだ。
 そうして、今もまたその悪い癖が出てきてしまった。
 空想の中で人を斬す。武家の屋敷で、三十六人の家来達を、この手で、一人残らず、自分さえも、綺麗に、一刀で、俺が、この刀で、綺麗に、斬す。
 知らず、喜三郎の口元に微笑が浮かんだ。
 自分は狂っている。そんなことは識れていた。隊に残っている理由も、合法的に人を切れるからだ。その点で、喜三郎の存在は歪んでいる。異端であると自覚してはいるが、性分だけは本当にどうしようもないのだ。
「矢嶋、どうかしたか」
 隣で飲んでいた隊士に訊かれ、喜三郎は正気に戻った。
「いや、なにも」
「酔うにはまだ早い。さあ、飲め」
 言って、隊士は杯に酒を注ぎはじめる。酔うのは早い、と言っておきながら、当の本人はとうの昔に出来上がっていて、呂律も回っていない。説得力も何もあったものではない。
 しかし何を思ったか、喜三郎はこの男に刀のことを話してみようという気になった。
「お前は幽霊だとかの話を信じるか」
「なんだいきなり。怪談でもしてくれるのか」
 怪談。あんなものは怪談ではないと否定した矢先である。怪談という言葉を使うのは躊躇われたが、他に相応しいと思える言葉が見つからない。なので、気にせず、
「怪談か。ああしてやる。これはとある妖刀のことなのだが――」
 喜三郎は刀のことを話した。ただし、刀の銘と、今自分の手元に現物があるということだけは伏せておいた。
「――という話なのだ」
「ああ、その話なら俺もきいたことがあるよ。刀の名前は、ああ、忘れちまったがな。けどおめえその話、一番大事な話が抜けてるぜ」
 そんなことは識らない。識るはずもない。
「どういうことだ」
「その話には続きがあるんだよ」
 大吾の話はあそこで終わった。続きなぞ、識る由もない。
「聞かせてもらえぬか」
 当然、識りたくなった。
「いいだろう。ただし」
 男は掌を突き出してきた。
「五両だ」
 三文話に五両とは、割に合わない。しかし、五両で続きを識ることができるのなら、
「わかった。五両だな」
 喜んで、金を出す。男は金を受け取って、
「すまねえな。これでツケが払えるよ」
「そんなことはいい。早く続きを聞かせろ」
「ああ、わかった、わかった。お前さんの話じゃ家の主は家中に居た人間を皆殺して終わっている。けどな、それじゃあ怪談にはならねえ。怪談にはもっと、そう、幽玄が大事なんだ」
 そんなことは、識っている。
「この話の肝はその後でな、主が死んだ後も主が存在していた、というところが大事なんだ」
「それでは矛盾する。死んだ人間が、生きている筈がない」
「そう。それこそが、不思議」
 男は不敵に笑った。同じような貌を、少し前にも見たような気がした。
「主は首を刎ねられて死んだ。じゃあ、その首を落としたのは誰なのか。わかるか」
「主は自害したのだろう。なら、それは殺されたことにはならないのではないか。いや、それだとおかしい」
「流石、気付くのが早い。そう、主は主に殺されたんだよ。十分、奇怪だろう」
 主は主自身に殺された。自害であるのだから当然と言えば当然であるが、この場合は違っている。自害というのは自分で自分を『殺す』ことだ。しかし、この話だと、主は本人に『殺され』ている。自ら手を下す死とそうでない死とでは、同じ『死』でもその意味合いは違ってくる。
 喜三郎の背中を、何かが這っていく。
 男は依然、嗤っていた。

 空は既に茜がさしていた。
 気持ち善く酔うような気分になれるはずもなく、喜三郎は独りで店から抜け出してきた。
 気分を換えるために真っ直ぐ屯所に戻ることはせず、川を迂回することにした。夕涼みと思えば何のことはない。
 今日は厭に蒸し暑い。べっとりと肌に着物が引っ付く。
 早く日が落ちぬものかと思案した暮六つ時、それは現れた。
 これから橋を渡ろうかという時である。その橋の上に得体の知れないものが立っていた。逆光になっていて貌などは善く見えないが、体格からして男であることは確かである。それともう一つ、男は腰に刀を差している。その一点が、喜三郎の警戒を一層強めた。
 局中法度の一つに『私ノ闘争ヲ不許』というものがある。他にも幾つかあるが、それら一つでも犯した者は須く、腹を切ることとなる。
 斬り合いとなれば恐らく、どちらかの命はない。ともなれば、外部へ事が洩れることはなんとしても防がなければならない。矢嶋喜三郎は私闘を演じた。それだけで、命がないのだから。できることならば、そんなことは起こらないで欲しかった。が、それと同時に、喜三郎は気付いてしまった。己の中から沸々と沸き上がる感情があることに。
(おれはこいつを斬してみたい)
 その時既に喜三郎は刀を抜いていた。暮六鏡士郎、白銀に太陽が反射し、ギラリと煌めく。
 対して、男も刀を抜いた。同じく刀身に橙色が反射していた。
 そうなればもう、引き返すことは出来ない。ふたりはじりじりと距離を詰めていく。

 互いが必殺の間合に入ったとき、太陽が墜ちた。

 それを合図と取ったか、互いに刀を振りかざす。
 通常斬り合いというのは数太刀で終わる。技術の巧い方が、生き残る。
 しかし終わらない。何度踏み込もうと、何度踏み込まれようと。喜三郎は避けるし、相手もかわす。
 妙な感覚を覚え、喜三郎は一歩退いた。相手も同じく、一歩退く。
 辺りはもう暗くなっていた。風の音と川の音が、世界を浸食する。
 男は真っ黒な、まるで影のような貌をしていた。
「貴様、何者だ」
 相手は答えない。ただ、
 影が、嗤った。三日月のように口元を歪ませて、相手は嗤っているのだ。
 三度目の、微笑。
 喜三郎は、今日という日にいよいよ腹を立てた。得体の知れない刀を中心に、何か善くないものに巻き込まれていく自分の不運を呪った。そして、人を斬すことの悦びに歓喜した。
 知らず、喜三郎の口元も歪んだ。
 そろそろ帰らねば、何かしらの処罰を受けなければならなくなる。門限が、危うい。
 故に、さっさと斬り伏せて帰ることとした。
 下段に構えた剣先を引き上げる。影が踏み込んだ。同じく喜三郎も踏み込む。刹那、切っ先を反して相手の腕を叩き落とした。躊躇うことなく次撃に至る。
 剣の勢いをそのままに、頭頂部から股下まで、一息に斬り下げた。
 瞬間、視界が真っ二つになった。

 訳も解らず倒れ込む。立っていられない。両半身の疎通が出来ない。見ると、腕が落ちていた。影を斬った部分と全く同じ場所が、無い。
 影は、もういない。
 しかし、いるのだ。喜三郎の直ぐ下に、喜三郎と同じく四つの部分に分解けられて確かに影は存在している。
 暮六鏡士郎は文字道理の魔剣である。暮六つ時に現れ、自分自身の影を殺せる魔剣。そも、影と自分自身とは運命を同じくするものである。故、影を殺せば自分も死ぬ、いや、自分自身に殺されてしまう。だから件の屋敷の主は自分に『殺され』たのだ。確かに自害であることにかわりはない。頓知である。世は正に、不条理。
 消えていく意識の中で喜三郎は思った。
 この散々となった自分の身体は何かに似ている。四つの部品、影を含めたなら計八つの塊。
 ああ、と出ない声を漏らす。
 まるでじぐそぅではないか。矢嶋喜三郎という画を、八つの『ぴぃす』にしたのだな。
 消える自己。
 最期の瞬間になっても、喜三郎は嗤っていた。




---------------------------------------------------------------------